6 posts tagged “社会起業”
人to人のマイクロファイナンスNPO。発展途上国の個人にクレジットカードを使って、直接お金を貸すことができる。そう、寄付ではなくなにかをやりたいと思っている発展途上国の起業家に直接お金を貸すことができる。
このサイトでは、これまでにお金を借りた人の近況と返済率も書かれていて、借りたお金で、何を購入したとかそんな話も載っている。
返済率はなんと100%。$25から誰かにお金を貸すことができるので試してみてはどうだろう。返済期間半年から1年で誰かが変わっていくことを見ることができるはずだ。

"社会起業家―「よい社会」をつくる人たち (PHP新書)" (町田 洋次)
しかし、日本で次々と誕生している新しい非営利組織では、それを運営している人たちに、まだボランティア意識が強い。社会起業家とボランティアの違いとは、営利企業の経営者と同様のプロ意識を持って事業を展開するか、活動内容や活動への関わり方が限定的なアマチュアにとどまるかの違いである。私は、ボランティアの意義を否定するわけではないが、プロの社会起業家の下にボランティアがいてこそよい活動ができる。なぜなら、現代起こっている様々な社会問題は極めて複雑で多岐にわたり、アマチュアだけの力で解決できるほど簡単ではないからである。
これまで何度も述べてきたように、かつては家庭や地域社会で行っていたことを、ことごとく国家がするようになったのは、たかだかこの百年間のことである。しかし、もはや国家はそんなにたくさんの肩代わりはできなくなった。
江戸時代には、社会消費や社会需要は市民が自分で賄っていた。町の隠居は若者にしつけを教え、また自営警察や自営消防隊などの組織をつくっていた。

"「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方" (駒崎弘樹)
「運動ではなく、事業によって社会問題を解決する社会起業家。これならば二年のあいだ会社経営に身を費やして来た僕にもできる、いや僕だからできる「日本社会の役に立つ」方法ではないだろうか。
「コップのなかの嵐」という言葉がある。限られた人たちの限られた世界のなかだけの議論や動きのことだ。限られた人間しか入れないから、一般大衆にとっては他人事になってしまうのだ。
同じ価値観の人間が集うばかりで自分たちと違うアイデアを許容しないから、新しい動きも起きない。
多様性は力なのだ。生命はなぜ突然変異を許容するのか。多様性を保持しなければ、なんらかの天変地異や伝染病によって一網打尽にされてしまうからだ。国家はなぜ多様な言論を保障するのか。一つの意見だけしか持てない社会では、時代の変化に全員がついていけず、結局は社会が破綻してしまうからだ。
「全体を救うイノベーションは、つねに多様性から生まれる」
欧米では「プロボノ」(ラテン語で「公共の利益のために」という意味)といって、弁護士や会計士などのプロフェッショナルが、仕事の時間の数パーセントを非営利活動に使うことが一般化されている。
「ソーシャルベンチャーの唯一の武器は、明確な社会性よ。そこだけはどんな大企業にも勝る部分よ。記者は社会性のあるイベントに価値を見出すの。どこかの大企業が新しい商品を発表しても、そんなの、いつでもあるようなことでしょう?でも、ある社会問題に対して、あなたたちが答えになるかもしれない事業をしているんだとしたら、それって記者としてはまさに記事にしたいネタなわけ。だって新聞って、社会の問題を明らかにして、解決の糸口を探るためのものでしょ?記者って多かれ少なかれ、そういう完成持っているもんよ」
「言葉が認識を生んで、認識がアクションを生むの。アクションが変化を生む」
溺れる赤ん坊のメタファー
あなたは旅人だ。旅の途中、川に通りかかると、赤ん坊が溺れているのを発見する。あなたは急いで川に飛び込み、必死の思いで赤ん坊を助け出し、岸に戻る。
安心してうしろを振り返ると、なんと、赤ん坊がもう一人、川で溺れている。急いでその赤ん坊も助け出すと、さらに川の向こうで赤ん坊が溺れている。
そのうちあなたは、目の前で溺れている赤ん坊を助ける事に忙しくなり、実は川の上流で、一人の男が赤ん坊を次々と投げ込んでいることには、まったく気づかない。
これは「問題」と「構造」の関係を示した寓話だ。問題にはつねに、それを生み出す構造がある、そして、その構造に着手しなければ、真に社会問題を解決することはできないのだ。
おもしろい。


