13 posts tagged “数学”
http://www.nikkigraziano.com/foundfunctions/index.html
http://hilbert.elcom.nitech.ac.jp/~hontani/lecture/CompGeo/04/04.pdf
「数学には見て欲しいものがたくさんある」
http://d.hatena.ne.jp/Koumei_S/20090322/1237727846
おもしろい
おもしろそうなのでこつこつやってみよう。

"100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影 (NHKスペシャル)" (春日 真人)
ポアンカレ予想は、アインシュタインの一般相対性理論や量子力学を含むすべての学問につながります。ですから、これほど人々を魅了してきたのです
ポアンカレが論文の最後に書き記したという不思議な言葉を教えてくれた。
「しかしこの問題は、我々を遥か遠くの世界へと連れて行くことになるだろう」
数学者は常に、楽しみと苦痛とが織りなす日常、そして「特別な数学の世界」とのあいだを往き来しています。数学の世界への扉を開けられる者は限られていますが、そこには永遠の真理があり、すべてを理解できる者だけが、その世界で完璧な美を目撃することができるのです。まるで迷宮に迷い込んでしまったかのように、クリスタルの壁に乱反射する美しい光に数学者は思わず取り付かれてしまうのです。
難問・ポアンカレ予想はこれまでたびたび、1851年に書かれた小説「白鯨」(マーマン・メルヴィル)に登場する巨大鯨、モービー・ディックにたとえられてきた。小説では、どう猛で恐るべき強靭さを持ったモービー・ディックに、エイハブ船長と船員たちが命がけで立ち向かうが、結局倒せないまま、全員、海の藻屑と消えてしまう。
他の科学と違って、数学は研究室を必要としません。最近はコンピューターの必要性が高まっていますが、ほとんどの数学は心地よい場所で、同僚と一緒にあるいはひとりで研究できます。私は今でも、素敵な場所に行けば創造性の豊かな仕事をすることができます。会議が美しい場所で開催されると聞けば、それが参加理由になります。くつろいで楽しむことができるので。素敵な場所で数学を考えるのは楽しいものです」
「宇宙がたとえどんな形であろうとも、それは必ず最大で八種類の異なる断片から成り立っているはずだ」この大胆な予想は、サーストンの「幾何化予想」と名付けられた。
「数学者が問題に挑む動機、それは未知なるものへの憧れです。数学者に意欲を起こさせるものは、子どもたちに意欲を起こさせるものとまったく同じです。ただ、知らないことを知りたいのです。
子どもは自分の周りの世界を理解したい生きものです。生まれついての科学者なのです。私たちはいわば、大人になってもその好奇心を持ち続けているだけなのです。数学者の好奇心は、南極や北極やアマゾンを発見した探検家たちと変わりません。いまやこの地球上では、まったく未開拓だと思われる場所はだいぶ少なくなってきました。でも頭の中の知的世界には、何の制限もありません。未知なるものは無限にあるのです」
「数学でもっとも特別な瞬間は、問題を違った角度から眺めたとき、以前見えていなかったものが突然明確になったと気づく瞬間です。鬱蒼とした森だと思っていたのに、適切な場所に立つと、木が整然と並んでいるのが見えるのです。他の角度から見るとその構造は見えずに、混沌とした木だけが見えます。でも、適切な方向に自分が向くと、突然、この構造が見えます。数学とはこのようなものです。私にとってペレリマンの論文はその連続でした。私は何度も「美しい」と思いました。」
「100年に一度の奇跡を説明するのは、困難です。しかし、ペレルマンが孤独に耐えたことが成功の理由かも知れません。孤独の中の研究とは、日常の世界で生きると同時に、めくるめく数学の世界に没入することです。人間性を真っ二つに引き裂かれるような厳しい闘いだったに違いありません。ペレリマンはそれに最後まで耐えたのです。」グロモフ博士は、世紀の難問を解決したこととフィールズ賞の拒否が、裏表の関係にあると考えている。
「彼は必要でないものを徹底的にそぎ落とし、社会から自分を遮断させて問題だけに集中しました。純粋性が七年間もの孤独な研究を可能にし、同時にフィールズ賞を辞退させたのです。人間の業績を評価する場合、純粋性は大切です。なぜなら、数学、芸術、科学、何においても、堕落が生じれば消滅の途をたどってしまうからです。私たちの社会も、論理の純粋性が一定のレベルで存在しなければ崩壊するでしょう。意識する、しないに関係なく、数学は何よりも純粋性に依存する学問です。自己の内面が崩れては、数学はできません」
「数学の魅力は、謎を解くときの興奮そのものです。例えば、子どもにとっては世界のすべてが謎に映ります。手足を動かしては、不思議なことを体験し、食事をすれば、味とはいったなんだろうかと考えます。普通の人は大人になるに連れ、そうした好奇心を失いますが、謎への興味を絶やさなければ、その人は、宗教家になれるかもしれませんし、芸術家になるかもしれません。難問に挑む数学者も、そういう人たちの中から生まれるのです」
「数学は旅に似ています。見たことのないものを、なんとか見ようとする努力なのです。数学は不思議な力で私たちの目の前の世界を彩り、徐々にその神秘を明らかにしてくれるのです」
元記事:http://dev.team-lab.com/index.php?itemid=15&catid=1#more
α ∈ [0,1] : 危険率。
("あ"わてる危険)
β ∈ (0,∞) : 成功時の戻ってくる金額の、投資に対する比。
("ぼ"んやり見ていると損をするので要注意な係数である。)
このような賭けを評価する場合、相乗平均の期待値を計算するの
が良い。すると、その値は次のようになる。
f(r) := exp( αlog r' + α' log(r'+βr ) )
ただし、r' = 1-r (手元に残す割合), α' = 1-α (安全確率)
全財産を1とした場合、そのうち、r∈(0,1]をこの賭けに用いた
場合、賭けが終わった後の財産の相乗平均の期待値が1以上である
ようなrが存在する条件は次のようになる。
β > 1/α'
当然のように、利益率βは危険率αによって決まる値を超える値
である必要があり、それは1/α'なのである。つまり利益を出すに
は、β> 1/α' であることが条件で、損益分岐点は1/α'
ということである。
具体的に書くと、危険率が50%であれば、倍返しでないと、その投
資に手を出してはいけない。(この場合、α=0.5 なので、β>
1/(1-0.5) = 2 。)
ただし、このα=1/2の場合、ここから後の計算を適用すると分か
るが、一回当たりの賭では平均すると(びっくりするほど)利益が
出ない。)
では、危険率αも利益率βも決まったとして、どれだけの利益
の期待値が期待できるのか計算することを続けよう。この値と、
この期待値が最大となるrを計算すると(賭けに投じる全財産との
割合がrであった)、次のようになる。
賭が終わった後の最大期待値:
max f(r) = exp[ α log { αβ/(β-1) } + α' log α'β ]
最大値を与えるための投資割合:
r~ = 1 - αβ/(β-1)
これが安全で最適な、全財産に対する掛け金を決めることがで
きる。これより少ない金額しか賭けないのは、小心者の損をする
ことになる。これより多くを賭けると荒くれ故の危険を冒してい
る、ということだろう。さじ加減が大事なのである。 しかも、そ
のさじ加減は、ひとつひとつの勝ち負けに一喜一憂することでは
なく、ある最適なポリシーを見つけてきて、それを貫くことであ
る、という難しさがある。 そういうさじ加減ができる人になりた
いものだ。
こういうことは人生論にもつながるのでは無いか??



