51 posts tagged “メモ”
まわりで起こることすべてに注意を払うんだ。記憶こそ芸術家にとって一番大切なものであることを忘れるな。想像力(imagination)ってやつは記憶の再配列(rearrangement of memory)のことなんだ。記憶なしに想像することなんてできない。それから、直観(intuition)だ。注意を払い続ければ、最後には直観が働きだす。自分の直観を頼れるようにならないとな。(三上訳, The Ink-Keeper's Apprentice, p.31)
original: http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20090525/p4
著者は「経済成長」を実質GDPの増加と定義したうえで、
〈文明化が一定の水準に達し、消費者の手元に必需品としての生産物がいき届いた時点で、需要は原則としては買い替えのための消費だけになるので、経済は成長をすることを止めて均衡へと向かう〉
と語る。さらに、その段階で人口が減少すれば総需要はさらに減少し、経済成長がマイナスに転じることも自然の成り行きだと説く。
つまり、経済成長の鈍化、減少は〈社会が成長し、成熟し、やがて老化してゆくプロセスの中で露呈してくる社会現象の断面〉に過ぎないのだ、と。
にもかかわらず、実際には、我々は過剰な消費を繰り返し、「金が金を生む」金融テクニックを駆使しながら、無理に経済を成長させようとしてきた。その帰結が世界的な金融危機であったと指摘する。
ところで日本では、ほぼすべての飲食店でBGMが流れている。BGMがかかっていない店に足を踏み入れると、「まだ開店前だったかな?」と思わず遠慮してしまうほど、僕らはお店の中で流れるBGMをごくあたり前に受け入れている。
しかし海外に行くとこれは珍しい。とくにヨーロッパでは、生演奏ならまだしも(あるいはインド・ネパール系のお店は例外として)、BGMをかける店は圧倒的に少ないと思う。
BGMは気分をつくる。誰かが意図的にチューンナップしている空間の中で、わたしたちはどれぐらい、わたしたち自身なのか。
僕はここ20年ほどテレビを見ていない。以前からあまり見ないくちだったが、決定的に見なくなったのは1995年の阪神大震災の時、ある民放の番組が被災地の映像にBGMをつけて流しているのに出くわしてからだ。
もうこれ以上ついていけないと思った。
自分が感じていることを、感じているように感じることを犯されたり、疎外されたくない。
original: http://www.livingworld.net/nish-blog/090515_sense/
"ベンチャーでもなければ会社勤めでもない新しい働き方"
ほんの4,50年前は今よりもはるかに多様な職業の種類があったそうです。講義では、熾烈な競争が起きず、月3万円の利益が出て、「仲間」と「技」が育つ仕事をナリワイ(生業)と呼びます。ナリワイを1個つくるということを目標にし、みなさんと一緒につくっていきたいと思っています。会社勤めの方でも、まず10のナリワイをつくるところから始めてみませんか?仕事を100%会社から買うのではなく、少しでも自給できると実感できれば、会社での仕事ももっと愉しくなります。
この話は別にウェブサービスだけに限った話ではなく、他人の評価よりも個人のテーマやコンセプトを優先すべきだという一般的な意見にも合致すると思う。評価は結果に付随する物で、創造の過程で評価を気にすると結果がぶれてろくなものができない。
これの典型的な例としてラジオ番組、放送室で松本人志が言及していた「ヒットしたギャグと、そのギャグを作った芸人の作るギャグ第二弾の違い」が挙げられる。前者は自発的に生まれたものを他人が評価したという構図だけど、後者の場合、他人から評価される物を目的に作り、評価を待つというプロセスの逆転が起こっている。
ここでも前述したコンセプトのすり替わりが起こっているんじゃないだろうか。
まとめると、他人の評価だったり、点数のような数字はとても明快でしかも強いので意識が引っ張られやすいが、それを創作のテーマやコンセプトに掲げてしまうと表面的で一過性のニーズを追いかけるという安易な手段に走ってしまいイノベーティブな思考が削がれてしまう。
そういった意味で、「自分が何に向かって進んでいるのか」は常にハッキリと認識しておかないといけない。
original: http://source-laboratory.net/blog/2009/05/post-36.html
廊下で、同行の写真家、阿部稔哉さんが、
「茂木さん、忌野さんが亡くなりましたよ。」
と声をかけてくる。
「若すぎたよね」
「残念です。」
表現者は、いいわけをしてはいけない。
しかし、どんな思いで、心を込めて、
そして勇気をもって表現しているか
ということは、必ず伝わるはずだ。
そして、根底には、愛がなければならない。
自由がなければいけない。
勇気がなければならない。
-茂木健一郎
そういえば最近原宿で会ったストリートバスケットボーラーの選手でジェイソンという奴は、父親がアル中で両親が離婚し、貧乏でほとんどストリートチルドレンとして生活して、教育も受けられなかった。
しかしバスケットボールが好きで続けている内に街のコートで友達ができ、父親代わりとしてマジックジョンソンを愛し尊敬して育った。スポーツを通して友人を作り人生を学び内に、勉強をしたいと思うようになり、奨学金をもらって日本のICUに留学に来た。そして今ではバスケットを通してみんなに恩返しをしたいと思っているそうだ。
また先日会ったパリのプロバスケットボーラーでファションデザイナーのヤスもフランス社会では最下層の移民だったが、バスケットボールのおかげで社会的にも自立して、今後日本でも活躍しそうだ。
彼らはタフでガッツがあり、セコくなくて、愛が感じられる。社会で敗者復活して普通に上手くやってる人を見ると、品格さえも感じることがある。本当に自由に生きるのは簡単ではない。
original: http://www.kuroteru.com/2009/04/post_103.html
ひとりで見る夢は夢でしかない。
しかし、誰かと見る夢は現実だ。
-オノ・ヨーコ
original: http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090423/1240454590
その中で生まれて初めてプログラマーという職業の方と交流させて頂いたのだけれど、彼らはなかなかにユニークで特異な個性の持ち主たちであった。もちろんプログラマーと一口に言っても色々なタイプがいて、必ずしもひとくくりにできるわけではないのだが、共通していたのは好奇心が旺盛で新しい物好きだということだった。そして少々気難しい面がありつつも、基本的にはポジティブで、明日に向かって色々なことを前向きに、精力的に取り組んでいる人が多かった。
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新人プログラマーがプロのプログラマーとして独り立ちするための7つの条件
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その1「プログラマーであることに誇りを持たない」
Tさんがまず初めに言ったのがこれだった。ぼくは意外に思って「そうなんですか?」と思わず聞き返したが、プログラマーははっきりとした形がある世界の職人ではなく、むしろ形のないところに形をこさえるようなものだから、誇りを持つのはかえって邪魔になるし危険だということを語られた。プログラマーは、プログラマーであることに誇りを抱いた瞬間に停滞が始まるのだという。そしてこれまで、Tさんは何人もそういう誇りを抱いて停滞してきたプログラマーを見てきたということだった。
プログラマーで何よりも大切なのは、昨日までの自分をどれだけ潔く捨てられるかだということである。そして新奇なことにどれだけ躊躇なく立ち向かっていけるか。そこに伴うべきものは飽くなき好奇心だけで、誇りなどは文字通り「埃」と一緒に身に付くやいなやさっさと払い落とすに越したことはないということだった
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その2「常に手抜きを考える」
Tさんに言わせると、プログラマーというのは「性格のねじ曲がった面倒くさがり屋」でなければならないということだった。優秀なプログラマーは、「物事を面倒くさくなくするためだったら、どんな面倒くさいことでもする」のだそうだ。だから、ここで言う「手抜き」とは、何も手抜き工事をするということではなく、どれだけ楽をしてそのプログラムを組み立てられるか(つまり手を抜けるか)、ということであった。それをするために、プログラマーは全力を傾けるべきだとTさんは言った。
これを聞いた瞬間、ぼくは真っ先に将棋のことを思い浮かべた。将棋にも「手抜き」という言葉があって、定石とか通常の段取りとかを一個飛ばして危険な箇所を放置したまま攻撃を仕掛けることをそういうのだけれど、これを上手に使える棋士というのは、それだけで俄然有利になる。将棋においては、一手得することは本当に大きなアドバンテージになるので、どれだけ手抜けるかというのが、そのままその人の実力を決めると言っても過言ではないのだが、Tさんのプログラミングも、勝負強い棋士のように、要所で手抜きをして、局面を短手数で進めることをよしとしているということだった。
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その5「勘を鍛える」
これは「その4」とも通じるのだけれど、意外なことに、プログラムというのは「勘」がとてもだいじなのだということだった。もちろん、普段の勉強や経験の積み重ねはだいじなのだけれど、前述したような手を抜く際の思わぬアイデアというものは、ふとした閃きや勘、あるいは直感から生まれることがほとんどなのだそうだ。あるいはバグを見つける時も、最初に勘を働かせて「ここら辺に問題がありそうだぞ」というのがピンと閃くと、けっこうな確率で当たっているのだそうである。そういう勘が冴えるようになると、プログラムやデバッグに割く時間はとても短くなり、おかげでリソースが足りないという問題も解決できるのだという。
だから、諸々の問題を解決するためには、プログラマーにとって勘の良さは必要不可欠なのだそうだけれど、これは規則正しい生活や食事、安定した精神状態、清潔さによって鍛えられるそうで、だからTさんは、とにかく健康には人一倍気を遣っているとのことであった。
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その6「美的センスを身につける」
これもTさんのこだわりなのだそうだけれど、とにかく美的センスのないやつに良いプログラムは書けないとのことであった。スティーブ・ジョブズはPCの美しさにこだわって、基板のデザインにまで口を出したらしいけれども、Tさんもそんなジョブズの考え方に全くもって同意するとのことであった。
プログラムも、やっぱり良いものはある種の美しさを醸すようになって、これは逆に言えば、美しいプログラムさえ書いていれば、それは自ずから良いプログラムになるとのことであった。だから、良いプログラマーには美的センスが絶対的に必要で、そのためにTさんは、常日頃から有名なデザイナーの作品集を買ったりだとか、古今の家具や建築などに触れ、自分の美しさに対する感度をできうる限り高めるようにしているのだそうである。
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その7「忘却力を備える」
これもまた意外だったのだが、Tさんによれば、プログラマーには何より「忘れる力」が大切なのだということであった。
理由は二つあって、一つは、プログラマーは覚えなければならないことがあまりにも多いということ。そのため、余計なことはさっさと忘れるようじゃないと、とてもじゃないが必要な情報をいい感じで脳の中の取り出しやすいところにしまっておくことができないのだそうである。Tさんによれば、それこそ人間の脳というのは限られたリソースであって、余計な記憶をしまっておく場所は一ミリたりともないとのことであった。だから、忘却力——PCでいうならクリーンアップや圧縮が本当にだいじで、余計なことは普段からなるべく忘れるように心がけているのだそうだ。
もう一つは、色んなことを覚えたままだと、夜眠れなくなるのだそうである。特に若い頃は、かかりつけのプログラムが眠ってるあいだも気になって、おかげで快適な睡眠が取れず、仕事の能率がかえって落ちてしまったことがあったのだそうだ。そうしたことを避けるために、年齢を重ねるに連れてTさんは、仕事が終わるとパッと仕事のことを忘れる忘却力を鍛えていったのだそうだ。そうやって、オンとオフを上手に切り替えることによって、きちんと睡眠を取り、次の日はまた集中して仕事をする——そういうサイクルを確立できるようになって、仕事の能率もぐんとあがったのだそうである。その意味でも、忘れる力——すなわち「忘却力」は、本当に大切だとのことであった。
http://www.wdl.org/en/
UNESCOが作成。人類の文明遺産に関する膨大なドキュメントに自由にアクセスできる。
もしもなにかをやるとしたら次の世界に繋がることを考えよ。
