21 posts tagged “ドキュメンタリー”
http://www.japangreen.tv/journal/#/000613
すばらしい。
http://playingforchange.com/
一度も会ったことのない世界中のさまざまな人が音楽を共演すること私達が協力することでこの世界のために何かできるはずだというすばらしい企画。ヒマラヤ、インディアンリザベーション、アジア、南アメリカと世界中を旅して無名のストリートミュージシャンの音楽を集める。
映画:四川のうた 監督:ジャ・ジャンクー
http://www.bitters.co.jp/shisen/yokoku.html
中国の急激な変遷を、一般の人々の目線のままに、映画という語りの中で伝えてきたジャ・ジャンクー監督が、ダムの建設で水没する村を描いた『長江哀歌』の後に作ったのが、この四川省の成都で、50年の歴史を持つ巨大国営工場を舞台に撮影した『四川のうた』。そこで家族と共に暮らし、工場を“故郷”である労働者たちの日常のエピソードを撮りながら、ドキュメンタリーとフィクションを織り交ぜ、偶然にも、世界的に報道された四川大地震前に作られた美しい瞑想のような作品となっている。
監督インタビュー:http://www.outsideintokyo.jp/j/interview/jiazhangke/index.html
<420工場>の工員たちが人生を語る時の表情や眼差しの美しさに感動しましたが、彼らは最初から心を開いてくれたのでしょうか。彼らの自然な表情を引き出すのにどんな工夫をしましたか。
正直なところ、取材はとても困難でした。実感として、(まず)あれだけの人数を取材した経験がなかった。でも大変だったのは、彼らが話してくれないことではなく、なかなか自分の話をしてくれないことでした。しかも勇気がないからではなく、自分を大事と思っていないからです。全体として生きてきた時代があまりに長くて、自分を大事な存在とは思えず、自分の話など聞いてどうする、と言いたげでした。それで他人の話ばかりになる。でも私が聞きたかったのは、一般の人である“あなた”の話だ。特殊な人生を聞きたいのでなく、一般的な“皆さん”の気持ちや普遍的な話が知りたいのだと伝えても、理解してもらえるまでに時間がかかりました。
1922年のイヌイットの家族の生活を撮影した80分の貴重なドキュメンタリ。サイレント映画。
一台のカヤックから5人家族と子犬がでてくるオープニングは圧巻。
カヤックを漕いで漁にいく姿や、犬ぞり、魚突き、イグルー造り、アザラシ獲りなど興味深いシーン多々。
http://wiredvision.jp/news/200902/2009021920.html
このバンドのメンバーたちはポリオによる身体障害があり、キンシャサ動物園付近の路上で生活している。メンバーらは改造自転車を乗り回し、ポリオの予防接種を呼びかける歌を歌い(下の動画を参照)、ストリート・チルドレンを暴力から守るべく活動し、時にはそんな子供をバンドの仲間に加えることもある。
困難な病気と、さらにはコンゴを悩ませている容赦のない暴力とに直面しながらも、このバンドはDIY精神を発揮している。[コンゴ民主共和国は内戦などでインフラが破壊され、経済は壊滅状態となっており、世界最貧国の1つ]
このバンドのソウルフルな胸を打つ音楽は、メンバーたちの人生と同様、削ぎ落とされて本質だけが残されている。必要以上に加工され、音程を操作された音楽ばかりのこの時代には、このバンドの独自性は際立っている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/7539529.stm
A new BBC series makes use of satellite technology to create stunning images of Britain from above. Mark Sanders reports.
中国 × オリンピック×建築
ひとつの建築から見えてくる、ひとつの国と大きな世界
ドキュメンタリー。見たい映画
すごい映画。BGMもナレーションもないのに圧倒される。食べ物がどのように作られているかを淡々と追ったドキュメンタリー。
監督 Nikolaus Geyrhalter。前作もおもしろそう。
http://www.geyrhalterfilm.com/
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/
日本語予告編は最悪。

"ドキュメンタリー作家の仕事―リアリティを探せ!" (横田 安正)
「ドキュメンタリーこそ主観そのもの」なのです。
まず主題を決めるという選択、自分にあったスタッフの選定という選択、撮影場所の選択、撮影場面の選択、個々のショットにおけるカメラ位置の選択、カメラマンのレンズの選択、照明の仕方の選択など、撮影に関するすべての活動が選択の連続です。したがって映像作品に客観を求めること事態が無理なのです。得にドキュメンタリーでは制作者がそれぞれの選択に厳しいラショナル(理由付け)を課し、責任をとることが要求されます。「何となく」などという曖昧な選択は動議的にもクリエイティブな面からも許されません。
「ドキュメンタリーとは撮影対象と制作者が真剣勝負で火花を散らし、両者の間に立つきのこ雲のようなものである」
別のいい方をすれば「ドキュメンタリーとは現実を制作者の内面で窯変したものである」ともいえるでしょう。「ドキュメンタリーは制作者の”人間性”そのものが問われる場であり、制作者の”存在証明”そのものでもある」のです。
演出家は自分を裸にする勇気と覚悟をもたなければなりません。映像作品をつくるということは否応ナシに自己の内実が外にでてしまうことです。格好つけて背伸びをしても始まらないのです。ドラマなら脚本があり、美術監督がセットをつくってくれ、役を演じる俳優がいます。作品の土台はすでにできています。ドキュメンタリーでは何一つそういうものはありません。無から有をつくるのです。
The Global Warming Swindle(地球温暖化詐欺)という映画がある。 地球温暖化の人為説懐疑派によって作られた映画で、環境問題は人為的な影響ではなく周期的なものという主張。 http://jp.youtube.com/watch?v=hUKLOvtAUDk&feature=related 今さらながらに池田信夫が取り上げているのをみて驚いたが、Wikipediaに書かれているように、この映画自体の信憑性が批判されている。 映画やテレビや新聞など既存のマスメディアの視点も、ブログの記事と同じようにひとつの視点ぐらいに思っておかないと。 英語:http://en.wikipedia.org/wiki/The_Great_Global_Warming_Swindle 日本語:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E6%B8%A9%E6%9A%96%E5%8C%96%E8%A9%90%E6%AC%BA_(%E6%98%A0%E7%94%BB)