まわりで起こることすべてに注意を払うんだ。記憶こそ芸術家にとって一番大切なものであることを忘れるな。想像力(imagination)ってやつは記憶の再配列(rearrangement of memory)のことなんだ。記憶なしに想像することなんてできない。それから、直観(intuition)だ。注意を払い続ければ、最後には直観が働きだす。自分の直観を頼れるようにならないとな。(三上訳, The Ink-Keeper's Apprentice, p.31)
original: http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20090525/p4
Country clean-up project "Lets Do It 2008" / Teeme Ära 2008
http://www.youtube.com/watch?v=A5GryIDl0qY&eurl=http%3A%2F%2Fd.hatena.ne.jp%2Fktdisk%2F20090524%2F1243154905&feature=player_embedded
著者は「経済成長」を実質GDPの増加と定義したうえで、
〈文明化が一定の水準に達し、消費者の手元に必需品としての生産物がいき届いた時点で、需要は原則としては買い替えのための消費だけになるので、経済は成長をすることを止めて均衡へと向かう〉
と語る。さらに、その段階で人口が減少すれば総需要はさらに減少し、経済成長がマイナスに転じることも自然の成り行きだと説く。
つまり、経済成長の鈍化、減少は〈社会が成長し、成熟し、やがて老化してゆくプロセスの中で露呈してくる社会現象の断面〉に過ぎないのだ、と。
にもかかわらず、実際には、我々は過剰な消費を繰り返し、「金が金を生む」金融テクニックを駆使しながら、無理に経済を成長させようとしてきた。その帰結が世界的な金融危機であったと指摘する。
original: http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20090514/194680/
バックミンスター・フラーという、アメリカの建築家で環境思想みたいのを最初に言った人がいます。この人がかなり早い時期、1930年代に、持ち家政策はアメリカ社会においては非常に問題のある考え方だと指摘しました。
持ち家政策は人間を猛獣化する。自分の城を守るためにライオンと化して、自分の城のためならば、周りの人間をどんな手段で蹴落としてもいいとなると言いました。
僕が設計という仕事を通して家を建てる人、あるいはマンションを買う人に接していると、やはりどんどん猛獣化しているな、と思うことがあります。グリーディー・キャピタリズムといったものも、結局は猛獣化する社会と関係があるのではないかという気がしました。
竹森 なるほど。皮肉なことですが、ブッシュのオーナーシップ・ソサエティーという思想にはそれなりに一貫性があることになりますね。つまり、それまではみんなで助け合って成り立っていたコミュニティーの住民が、家を持つことによって自分はほかの人とは違うと考えるようになる。そして社会も政府も何も要らないと思うようになる。こんなふうに人間のモラル自体が政権の都合のいいように転換したと考えられるかもしれません。
隈 アメリカが持ち家政策を進めることによって、20世紀初頭にヨーロッパとアメリカの経済的地位が逆転しました。それほどの力を持ち家政策は持ち得たっていうことですよね。
人間の力を超えるほどの努力をした後で、それが徒労に終わる。
その喪失の感じがじわっと伝わってくる。
生きていくとはこういうことかと思わせる。
もう一つ大事なのは老いというテーマだ。
この老人はもう多くのものを失っている。
力は昔のようではないし、家族もいない。女もいない。
彼を崇拝して、慕って、何かと世話を焼こうとする少年が一人いるだけ。
その子だって舟には乗ってこない。
作家はどんな状況でも作り出せるから、勝利感の話を書くのはむずかしく
ない。
でも喪失感の話を上手に、しかもセンチメンタルでなく書くのはなかなか
大変なんだ。
それがこの話ではうまくいってる。
余計なことを書かないというヘミングウェイの文体がいちばん効果的に使
われた例だね。
ところで日本では、ほぼすべての飲食店でBGMが流れている。BGMがかかっていない店に足を踏み入れると、「まだ開店前だったかな?」と思わず遠慮してしまうほど、僕らはお店の中で流れるBGMをごくあたり前に受け入れている。
しかし海外に行くとこれは珍しい。とくにヨーロッパでは、生演奏ならまだしも(あるいはインド・ネパール系のお店は例外として)、BGMをかける店は圧倒的に少ないと思う。
BGMは気分をつくる。誰かが意図的にチューンナップしている空間の中で、わたしたちはどれぐらい、わたしたち自身なのか。
僕はここ20年ほどテレビを見ていない。以前からあまり見ないくちだったが、決定的に見なくなったのは1995年の阪神大震災の時、ある民放の番組が被災地の映像にBGMをつけて流しているのに出くわしてからだ。
もうこれ以上ついていけないと思った。
自分が感じていることを、感じているように感じることを犯されたり、疎外されたくない。
original: http://www.livingworld.net/nish-blog/090515_sense/
"ベンチャーでもなければ会社勤めでもない新しい働き方"
ほんの4,50年前は今よりもはるかに多様な職業の種類があったそうです。講義では、熾烈な競争が起きず、月3万円の利益が出て、「仲間」と「技」が育つ仕事をナリワイ(生業)と呼びます。ナリワイを1個つくるということを目標にし、みなさんと一緒につくっていきたいと思っています。会社勤めの方でも、まず10のナリワイをつくるところから始めてみませんか?仕事を100%会社から買うのではなく、少しでも自給できると実感できれば、会社での仕事ももっと愉しくなります。



